大阪高等裁判所 昭和39年(ネ)242号 判決 1967年6月26日
控訴人 今井富美江
被控訴人 今井利秀
主文
本訴請求についての本件控訴を棄却する。
反訴請求についての原判決を取消す。
被控訴人は控訴人に対し金一五〇万円を支払うべし。
控訴人のその余の反訴請求を棄却する。
本訴についての控訴費用は控訴人の負担とし、反訴についての訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を控訴人その余を被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の本訴請求を棄却する。仮りに被控訴人の本訴請求が認容されるときは、原判決の内反訴に関する部分を取消す。被控訴人は控訴人に対し金三〇〇万円を支払うべし。訴訟費用は本訴反訴を通じ第一、二審共被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、
被控訴代理人は、本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする、旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出援用認否は、左記のとおり付加訂正したほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
控訴代理人は、
一、被控訴人と控訴人は昭和二八年八月控訴人が被控訴人方に同居するようになつたことから知り合い、間もなく肉体関係を生じた。これは被控訴人のほうから強引に求めた結果生じたものである。そして、控訴人は妊娠したが、被控訴人の両親が許さないため、被控訴人と相談して中絶した。その間二人の間の愛情は次第に高まり、やがて固く結婚を約するようになつた。しかし、二人の結婚には被控訴人の両親が強く反対したため、控訴人は昭和二九年九月頃被控訴人方を出て他に下宿したけれども、二人の関係はその後も変らず、同三二年三月被控訴人が大阪大学工学部を卒業して日立市に就職赴任した後も、互に協力してできるだけ多くの機会を作つては相逢い愛情を確かめていた。やがて、控訴人は四回目の妊娠をした。それまでの三回は被控訴人に生活能力がないためいずれも中絶手術を受けていたが、被控訴人が就職したことから相談して今度は生むことに決め、同三二年一一月控訴人は上京し東京都世田谷区三軒茶屋町に被控訴人の名前で二人の家を借り、同月二〇日長女小夜美を出産した。被控訴人は休日ごとに控訴人の許へ来り金を送り品物を買い整え、もちろん出産にも立ち会つた。長女の名前は被控訴人が命名したものである。小夜美の出産を機会に二人の婚姻届を済ませることになり、被控訴人は大阪から届出用紙を持つて帰り署名その他必要事項を自ら記載した。このときには、被控訴人の戸籍抄本の入手を依頼された訴外秋次常弘(控訴人の弟)が誤つて被控訴人の父の戸籍抄本を取つたという手違があり、そんなことから結局婚姻届の提出には至らなかつたが、しかし、二人の間の結婚するという意思は完全に確立した。あるいは届出を婚姻の成立要件とせず単なる効力要件と考える最近の新しい考え方からすれば、被控訴人と控訴人の間にはこの時点において婚姻が成立したとされるであろう。同三三年一月控訴人は小夜美とともに帰阪したが、それは被控訴人の収入が十分でなかつたので、上京前からの保健所勤務を継続するためであつた。それから、同三四年一〇月に至るまでの間も二人の間に頻繁な文通があつたことはもとより、被控訴人は控訴人と小夜美のため度々現金や品物を送つて来たし、控訴人が日立市に赴き、あるいは被控訴人が帰阪して交歓したことも数回に及んだ。それは、「家庭の事情で単身赴任した夫と共稼ぎをしつつ留守を守る妻」という世間にもよくある夫婦の場合とほとんど変らない関係であつたのである。ところが、同三四年一〇月二四日の朝控訴人の所に突然被控訴人から会いたいとの電話があり、同日午後控訴人が小夜美を連れて被控訴人と会つた際、被控訴人から訴外熊谷との挙式のことを告げられたのである。控訴人は驚ろいた。そして、もちろん反対した。ただ自分のためばかりではなく、小夜美の母としても必死に反対せざるを得なかつた。二人は近くの公園に行き話し合つた。その結果被控訴人は「熊谷との結婚はとりやめる」と控訴人に約束したのである。控訴人は被控訴人の性格からしてこの言葉だけではたよりないと感じ、二人で被控訴人の父のところへその旨を話しに行こうと言い出し、被控訴人の希望で訴外江川のところへ付添いを頼みに行つた。控訴人が江川のところから帰ると、被控訴人は再び控訴人を公園に誘い出し、父に話したのではかえつてぶちこわしになる、日立製作所も止めて他に就職先を求めることにするとまで言うので、控訴人も安心し被控訴人の父のところへは行かないことにして、控訴人の自宅へ帰つた。控訴人の自宅にはちようど訴外江川喜通が来ていたが、二人が公園での話し合いの結果を告げたところ、同人が「本当に届出をするのならその旨を一筆書いてくれ」と被控訴人に求め、被控訴人は同夜旅館で誓約書(乙第二号証)を書いたのである。その後、本件婚姻届が作成提出され、且つ、被控訴人の意見により本籍の記載が訂正された経過は従前主張のとおりであつて、少くとも控訴人としては、本件婚姻届は「熊谷との結婚を止めて控訴人と真実に結婚する」との公園での確約に基いてなされたものと考えており、被控訴人もまた少くとも控訴人に対しては一旦控訴人との婚姻届をし子供を入籍しのちに離婚するというような話はしていなかつたのである。被控訴人は控訴人との公園での約束を破つて同月二九日熊谷との結婚式を挙げたようである。周囲から強く言われると結局はそれに従つてしまう被控訴人の弱い性格からして、両親の反対を押し切り日立製作所での地位を捨ててまで控訴人との約束を守るということが結局できなかつたのであろう。右挙式後、被控訴人が熊谷と夫婦生活をしているかどうかは知らない。控訴人と被控訴人との間には右挙式の日以後肉体関係はなかつた。しかし、戸籍に関する文通のほか子供の誕生日には帰阪してくれとの控訴人の手紙に対し被控訴人は帰阪を約束した。その程度の関係は残つていたのである。そして、もちろん控訴人は被控訴人は必らず自分の許へ帰つてくるものと信じていたのである。
二、(一) 民法第七四二条第一号の「婚姻をする意思」とは、「法律上の婚姻関係を設定する意思」と解すべきである。婚姻(およびその他の身分行為)は一種の契約であるが、これらの身分法上の契約は財産法上の契約とは違つた特殊な性質をいろいろ持つている。その一つは、当事者が現実に合意に達した具体的な意思表示の内容と法によつて支えられる法律効果の内容とが必ずしも一致しないという点である。財産法上の契約においては原則として当事者の合意の具体的内容に応じて法律効果が生じる。ところが、婚姻契約においては生ずべき法律効果-当事者間の身分関係-はあらかじめ法定されていて、それ以外の法律効果を欲することを合意してもその合意は効果を生じない。婚姻するか否かの自由はあるが、どのような婚姻をするかの自由はない。婚姻という契約は右のように法により規格化された包括的な身分関係を当事者間に創設しようという契約である。そう考えれば、民法第七四二条第一号にいう「婚姻をする意思」とは、このような契約をしようとする意思であると解するのが当然である。換言すれば、右のような包括的身分関係すなわち「法律上の婚姻関係」を当事者間に設定しようという意思が婚姻意思なのである。なお、婚姻届をする意思で届出がなされたときは、右の意味での婚姻意思があるものと推定すべきである。しかし、この二つの意思は同じものではない。「法律上の婚姻関係を設定する意思」なしに何等かの便宜のために届出だけをする場合があり得るからである。
(二) 婚姻意思とは法律上の婚姻関係を設定する意思と解すべきであることは前記のとおりであるところ、本件において当事者間に右の意味での婚姻意思の合致があつたことは明白である。本件婚姻届提出に至る事情は前記のとおりであつて、被控訴人と控訴人の間には少なくとも法律上の夫婦関係を設定する合意のあつたことは明らかであつて、乙第二号証の誓約書に、「利秀は富美江と結婚長女小夜美出生せることを法律的に明白にする。」というのは、子供に嫡出子の地位を与えるための前提として、二人が法律上の夫婦となるという意味である。主たる目的は子供のためではあつても、ともかく、届出によつて二人が夫となり妻となり夫婦という法律上の身分関係を取得することを承認したものである。それだからこそ、「富美江とは後日離婚する」という但書がすぐ続くのである。「法律上の夫婦になるんだ」という意識がなければ、「但し後日離婚する」とあわててつけ加えるはずがない。さらに、被控訴人は「富美江との間に法律上の婚姻関係を設定する意思」があつたことは明白であり、控訴人の側に婚姻の意思があつたことは申すまでもないから、本件婚姻届は子供に嫡出子としての地位を与えるための方便として届出た場合でも、両名が真に法律上の婚姻関係を設定する意思の合致に基いてこれをしたものであるから、無効とは言えないのである。なお、仮りに本件婚姻届が子供に嫡出性を与えるための方便としてなされたものであるとしても、(実際は少くとも控訴人としては将来共同生活ができるものと期待していたし、被控訴人にもその気持が全然なかつたとは言い得ない。)その方便が完全に適法で且つ社会的にも望ましいことであり、また婚姻の直接効果の少くとも一部を目的とするもので、その有効性を主張し得るものと考える。
控訴人は最初挑まれて体を許し、その後は被控訴人の愛情と誠意を信じて、同人に身も心も捧げてきた。その間五年、二人は常に将来を誓い合い、婚姻届を出しかけたこともあつた。その後被控訴人は他の女に心を動かし、控訴人と自分の娘を捨てようとした。しかし、控訴人の妻としてまた母としての嘆願と追及にさすが利己的な被控訴人も思いなおし、控訴人と結婚する決心をし、あるいは少なくとも小夜美に嫡出子たる地位を与えるために、控訴人と法律上の夫婦になることを承諾し、婚姻届を提出することに同意したのである。本件婚姻届は有効なものといわなければならない。
三、(一) 本件反訴において控訴人が請求原因として主張する事実は、本訴において争われている事実ないしこれと不可分の事実関係であり、(もつとも損害額に関する事実は別だが、これは人事訴訟手続法第七条第二項但書の予定するところである。)控訴人の反訴を許容したところで、訴訟経済当事者の便宜のためにこそなれ、審理の錯綜遅延を来たすおそれはいささかもないことは明らかである。そもそも、同法が併合訴訟に関し第七条以下の特則を設けたのは、身分関係に関する紛争を一挙に且つすみやかに解決することにより身分の安定と家庭内の平和の早期回復を図ろうとの目的に出たものである。従つて、同条の規定は単なる例示でありこの目的に合致する限り、必ずしも同法第七条の明文にはそのまま該当しなくとも、広く併合請求ないし反訴を許すべきである。同法第七条第二項但書は、「訴の原因たる事実」と言つているのであつて、「本訴請求の原因」とは云つていない。「訴の原因たる事実」とは文理だけからしても明らかに「請求の原因たる事実」というよりは広い概念であつて、「当該訴が提起される原因となつた事実関係で、その訴の審判のため当然事実審理の対象となるべきものまたはなつたもの」と解すべきである。蓋しかかる事実関係に基く損害賠償請求を併合することは審理の錯綜遅延を来すおそれなく、かえつて訴訟経済当事者の利益に合致し、同法第七条以下の目的に副うことだからである。
婚姻無効の訴の請求原因は、これを厳格に解すれば「無効な婚姻届の存在」という事実に尽きるかも知れない。しかし、それだけが訴の原因たる事実のすべてではあり得ない。そのような無効な婚姻届が存在するに至つた原因がすなわち訴の原因となつているのである。しかも、婚姻無効事件においては、いやしくも両当事者が真剣に争うかぎり、なぜそのような婚姻届が存在するに至つたかが必らず審判の対象となるはずである。そして、本件においてもそれが十分に審理され認定されているのである。また、控訴人の反訴請求は、被控訴人の婚姻予約不履行ないし内縁の不当破棄を請求原因とするものであるが、本件の場合婚姻届そのものは一応両者合意のうえ提出されているのであるから、右不履行ないし破棄とは、被控訴人が本訴において主張する婚姻意思不存在の事実そのものである。本件において、もし被控訴人の本訴請求を認めるならば、その審理を通じて明らかとなつた事実に基づく控訴人の反訴請求につき審判されるのが訴訟経済当事者の利益のためのみならず、前記法の目的に副うものと信じる。
(二) 控訴人は昭和二年七月佐賀県藤津郡吉田村において秋次稔およびトシの長女として出生した。父稔は日本画家として展覧会に出品するかたわら乞われて肖像画を描いたり有田焼の絵付をしたりして生計をたてていたが、控訴人が八歳のとき死亡した。その後控訴人は弟常弘および常光とともに母トシの手で養育され、昭和一七年吉田国民学校高等科を卒業し、引き続き吉田村立吉田実践女学校に入学したが、約二年でこれを中退し、同一九年山口市所在の山口日赤病院救護看護婦養成所に入所し、同所において前大戦の終戦を迎え、同二一年これを卒業して看護婦および養護訓導の資格を取得した。そこで、控訴人はふたたび親許に帰り、同二一年二月から佐賀県所在の嬉野国立病院に看護婦として勤務していたが、同二五年保健婦の資格を取得するため一時同病院を退職し、佐賀県の実施した第五回保健婦養成講習会に参加し、約五ケ月の受講により保健婦の資格を取得してふたたび嬉野国立病院に勤務し、同二七年これを退職して、大阪市に来り大阪市浪速保健所に保健婦として就職した。その後、間もなく被控訴人を知つて以来の経過は反訴請求原因として従来主張しているとおりであるが、なお、昭和三五年試験に合格して大阪市技術吏員となり、現在は大阪市東住吉保健所に勤務しているものである。保健婦の資格は、現在では高等学校卒業後三年間の高等看護学校の教育を受けさらに一年間保健婦学校において数育を受けた者あるいは大学の看護学部を卒業した者に与えられる高度の職業的資格である。
控訴人には現在見るべき資産はなく、収入は現在基本給四六、〇〇〇円とこれに若干の諸手当がついているが、昭和三四年頃は約二万円であつた。
(三) 控訴人と被控訴人との間に婚約がなり事実上の結婚生活に入つてからも、当時被控訴人がまだ学生ないし就職間もないころであつたので、生活の資は主として控訴人の収入によつてまかなつていた。もつとも、小夜美出生後はときどき被控訴人から仕送りを受けたことは従来主張しているとおりである。
現在控訴人は母トシおよび小夜美と共に暮しており小夜美は大阪市常盤小学校三年生である。
なお控訴人は被控訴人との関係ができるまで処女であつた。
(四) 被控訴人は昭和一〇年三月大阪市において今井利雄および貢の間に出生した一人子で、鷹合小学校桃山中学校天王寺中学校大阪府立天王寺高等学校を経て、昭和三二年三月大阪大学工学部を卒業し、ただちに株式会社日立製作所に入社し現在に至つているものであつて、現在右会社において主任の地位にあり、年収少なくとも約九〇万円(月収約七五、〇〇〇円)を得ている。被控訴人自身の資産については分明でないが、その両親は少なくとも大阪市内に時価数千万円あるいは一億円を越える土地建物を所有するほか、大阪市外の不動産有価証券動産等相当の資産を有するものである。
(五) よつて、万一被控訴人の本訴請求が認容されるときは、反訴請求趣旨記載のとおりの判決を求める。
四、さらに、万々一本件反訴を不適法と判断されるような場合は、これを却下することなく、弁論を分離したうえ適当な処理をなされるよう求める。蓋し、併合の要件を欠く請求は却下せず分離判すべきであつて、反訴もまた訴訟中の請求併合である以上、特に別異に取り扱う理由はないからである。
と述べ、
なお、被控訴人主張の本件誓約書(乙第二号証)が江川喜通等の被控訴人に対する強迫に基き作成されたとの事実は否認する。
しかして、控訴人が現在秋次姓を名乗つている事実は認めるが、これは被控訴人の父が控訴人の勤務する役所における上司であり、且つ被控訴人との本件婚姻に反対だつたので手続を延しているうちに本訴提起に至つたからである。
と附陳し、
被控訴代理人は、
一、被控訴人と控訴人間に婚姻をする意思はなかつた。
(一) 本件婚姻届のなされた昭和三四年一〇月二七日以降被控訴人と控訴人間に婚姻関係が維持せられた事実は全くない。被控訴人は婚姻の意思なく本件婚姻届に署名捺印した事実はない。ただ、被控訴人は誓約書(乙第二号証)に意思に反して拇印させられた事実があるが、それも六畳一間に八人の多数人が集まり多数人から強迫せられ内一人は菜切庖丁を振り廻わし殺してやるとさわぎたて、江川喜通は「自分の組の者が一人広島で殺された」など被控訴人が控訴人の意に従わないときを仮定し恐怖を感ぜしめる言辞を以ておどしたことに基因する。よつて、控訴人において本件婚姻届は右誓約書による被控訴人の控訴人に対する委任に基きなしたものであると主張するならば、被控訴人は昭和四〇年一一月一日の本件口頭弁論期日において陳述した同日付準備書面を以て強迫を事由にこれが取消の意思表示をする。控訴人には被控訴人が認知できない子小夜美がある。適式な婚姻届があつたとすると、小夜美は嫡出子たる身分を取得する。
(二) 被控訴人が勤務先の上役から熊谷千鶴子と婚姻をなすについては表面化した控訴人との問題を処理せよと注意せられ、日立から来阪し被控訴人の両親に相談せずその努力をなした事実、しかして、故なき本件婚姻届のなされた日の二日後松坂屋長生殿において熊谷千鶴子と双方の親族相集まり正式の結婚式を挙げた事実により、被控訴人には本件婚姻届のなされた当時控訴人と婚姻する意思のなかつた事実を推認せしめるに十分である。一方、控訴人は一ケ月余り東京都に宿所を定めるに当り自己の友人を介し今井姓を名乗つて室借りをしたのに、大阪市に立戻るや再度秋次姓を名乗り現在依然として秋次富美江として保健所に勤務している。控訴人は大阪市職員共済組合から結婚資金の交付を受け現在戸籍上今井富美江でありながら、未だ勤務先に対し氏変更の届出をしていない。このことは控訴人が真に被控訴人と昭和三四年一〇月二四日婚姻する意思があつたものかを疑わしめるに十分である。
本件婚姻届は、一度提出せられその翌日正当の事由なく加筆訂正せられた外、一通分については日附を一日さかのぼらせて受付を求めた事実がある。この事実は一件の届出として当事者双方に一致した婚姻意思のなかつた証左である。換言すると、無権限になされた届出に帰因する。一度二通の婚姻届がなされた限りその記載をなし然る後転籍届を提出せしめるのが正しい事務処理である。強迫から出発し正権限に基かない手続が過誤に過誤を重ねたことを実証している。ここに婚姻無効となすを相当とする。
二、(一) 控訴人の反訴は不適法として却下せらるべきものである。被控訴人の本訴請求につき控訴人が勝訴すれば反訴は理由なきこととなる。条件付訴の提起は許されない。また、控訴人の反訴請求について審判をすることは訴訟遅延を来たし訴訟経済に合致しない。
(二) 控訴人主張の前記三の(二)の事実中控訴人が秋次稔およびトシの子として出生した事実、看護婦と保健婦の資格を取得した事実、大阪市技術吏員として大阪市東住吉保健所に勤務している事実、控訴人には現在みるべき資産なく収入は現在基本給四六、〇〇〇円とこれに若干の諸手当がつき、昭和三四年頃には約二万円であつた事実は認めるけれども、その他の事実は不知である。
(三) 控訴人と被控訴人間に婚約が成立した事実なく、また事実上の結婚生活に入つた事実もない。被控訴人は大阪大学の学生時代に一日たりとも夜間家を明け外泊した事実は全くない。更に、小夜美の生計の資として控訴人に送金した事実もない。
次に、控訴人が被控訴人との間に肉体関係ができるまで処女であつたとの事実は否認する。控訴人は大阪市生野区南生野町三丁目二八番地に住む訴外森川謙三と一年余り同居していた。右森川謙三は傷痍軍人として入院中看護婦であつた控訴人と結ばれ、控訴人は同人を追つて佐賀県から上阪し、同人と同居生活に移つたものである。右森川謙三の母は控訴人を嫁と呼んでいたが、控訴人は同人と不仲となつて森川方から家出をしたところ、ちようどそのとき大阪市浪速保健所に勤めていた被控訴人の父利雄が控訴人の上司であつたので、住むにこと欠く控訴人に同情してかくの如き関係ありとは知らず、しばしその自宅の一室を控訴人に無償提供するに至つたものである。このとき被控訴人は高等学校から大阪大学へと勉学中の学生生徒の時代であつた。控訴人はこの時代の被控訴人を誘惑し肉体関係に持込み深い罪な遊びに類する行為にまで追込んだものである。被控訴人が未だ十幾歳で思慮と分別とに欠けているのと反対に控訴人は職業柄十二分にその道の知識と経験とがあつた。さして技巧を必要としなかつたと推認せられ得る。控訴人が三回も妊娠中絶をすべて同一の病院でなしたということは信を措きかねるのであつて、それが事実であれば正しく遊びと断ずる外はない。控訴人が処女であつた旨の主張は事実に反する。
(四) 控訴人主張の前記の三の(四)の事実中被控訴人の身分学歴並びに被控訴人が現在その主張の如く日立製作所において主任の地位にあることを認めるけれども、月収額は五万円程度にすぎず、被控訴人の父母の資産の額は争う。
三、控訴人において訴訟遅延を策して今日に至り反訴につき弁論の分離を求める事由はない。仮りに分離すると仮定せんか、訴訟記録の謄本を裁判所において作成し各別に進行するほかない。かくては本訴の審理判決は更に遅延し訴訟経済に合致せず、当事者双方の利益とはならない。よつて、控訴人の反訴についての弁論分離の申立には異議を述べる。
四、原判決事実摘示中原判決三枚目裏五、六行目に記載せられている「被告が三回の妊娠中絶をしたこと」を原告(被控訴人)が認めたとの事実は錯誤につき妊娠中絶の事実は不知と訂正する。尤も、中絶云々を三回聞かされた事実はあつたが、被控訴人が中絶をすすめた事実なく、中絶手読書に被控訴人自ら捺印した事実もない。その他、被控訴人の主張に反する控訴人の答弁事実は否認する
と述べた。
立証<省略>
理由
一、当裁判所は被控訴人の婚姻無効確認の本訴請求を正当と認める。その理由は、左記のとおり訂正付加するほか、原判決理由一(原判決九枚目裏八行目から一四枚目裏二行目まで)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(一) 原判決一一枚目表一一行目の同月二三日とあるを同月二四日と訂正し、同一一枚裏七行目の誓約書(乙第二号証)を被告宛に作成したの次に、しかしながら、原告(被控訴人)は被告(控訴人)等の反対により飜意して熊谷千鶴子との結婚を思いとどまつたものではなく、以上認定事実によると原告(被控訴人)は被告(控訴人)と事実上の夫婦として同棲生活をしていたものではないから、内縁関係が成立していたものとは認められないけれども、被告(控訴人)との間に婚姻の予約が成立していたものと認められるところ、原告(被控訴人)は被告(控訴人)との婚姻予約を破毀して、同月二九日予定どおり熊谷千鶴子との結婚式を挙げることを決意したものであつて、同月二四日以降原告(被控訴人)には被告(控訴人)と夫婦生活を営む意思はなかつたものである。との字句を挿入する。
(二) 右引用の原判決の事実認定並びに右(一)の事実認定を支持する証拠として、当審証人秋次常弘の証言の一部並びに当審における被控訴人並びに控訴人の各本人尋問の結果(各第一回)の一部を付加し、右認定に反する同証人秋次常弘の証言部分及び同被控訴人並びに控訴人の各本人尋問の結果(各第一回)の一部はいずれも措信することができない。
しかして、被控訴人主張の誓約書(乙第二号証)が秋次常弘並びに江川喜通等の被控訴人に対する強迫に基き作成せられたとの事実に符合する原審証人今井貢の証言及び原審並びに当審における被控訴人本人尋問の結果(当審は第一回)の部分は、当審における控訴人本人尋問の結果(第一回)及び前記原判決挙示の証拠と比照し措信し難く、他にこれを肯認するに足る証拠はない。
(三) 民法第七四二条第一号にいう婚姻をする意思とは、夫婦関係を設定する意思であつて、その夫婦関係とは、習俗的標準にてらしてその社会で一般に夫婦関係と考えられる男女の精神的肉体的結合を意味するものというべきである。従つて、同条第一号にいう当事者間に婚姻をする意思がないときとは、当事者間に真に右の如き夫婦関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指すものであつて、たとい婚姻の届出自体については当事者間に意思の合致があつたとしても、それは単に他の目的を達するための便法として仮託されたものに過ぎずして、前叙の意味において真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかつた場合においては、その目的とするところが本来違法なものではない場合においても婚姻の効力を生じないものと解するのが相当である。ところで、本件についてこれを観るに、被控訴人は、熊谷千鶴子との間に結婚する話がまとまり昭和三四年一〇月二九日に同女と結婚式を挙げることに取決められたので、同月二四日控訴人とのそれまでの関係を清算するため日立市から大阪に来て控訴人に会い熊谷千鶴子と結婚する旨を告げたところ、控訴人やその家族等からその非を責められ、且つ小夜美が非嫡出子として取扱われることになるのをおそれた控訴人からせめて小夜美に被控訴人と控訴人間の嫡出子としての地位を得させてほしいとの懇請をうけ、その処置に窮した被控訴人がその場の収拾策として一旦控訴人との婚姻届をして小夜美を入籍しのちに控訴人の離婚するという便宜的手続を認めざるを得なくなり、その旨の控訴人宛の誓約書(乙第二号証)を作成してこれを承諾したけれども、被控訴人は控訴人等の反対により飜意して熊谷千鶴子との結婚を思いとどまつたものではなく、控訴人との婚姻予約を破毀して、同月二九日予定どおり千鶴子との結婚式を挙げることを決意したものであつて、同月二四日以降(もとより本件婚姻の届出がなされた同月二七日当時)被控訴人には控訴人と夫婦生活を営む意思はなかつたもので、同月二九日予定どおり千鶴子との結婚式を挙げ、同日以降同女と夫婦生活を営み今日に至つていること前認定のとおりであるから、本件婚姻の届出に当り、小夜美に被控訴人と控訴人間の嫡出子としての地位を得させるための便法として両名間に婚姻届出については意思の合致があつたが、被控訴人には控訴人と真に前記の如き夫婦関係の設定を欲する効果意思を有しなかつたものというべきであるから、婚姻をする意思がなかつたものとして、婚姻の効力を生じなかつたものと認めるのが相当である。
(四) 控訴人は、知識人であるはずの被控訴人が自らの責任においてなした婚姻の届出について後になつて都合が悪くなると真意でなかつたとして婚姻の無効を主張するようなことは、クリーン・ハンドの原則からして許されない旨主張するけれども、前認定の如く本件婚姻の届出に当り被控訴人には真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかつたものであつて、民法第七四二条第一号によつて婚姻は無効であり、この無効は絶対的なものであるから、その主張の如きクリーン・ハンドの原則を適用する余地はないものというべきである。
二、進んで、控訴人の予備的反訴について判断する。
(一) 先ず、被控訴人の反訴の却下を求める本案前の抗弁について考察するに、人事訴訟手続法第七条第二項但書は、同条第一項の婚姻事件の訴(婚姻無効の訴等)の原因たる事実によつて生じた損害賠償の請求はその訴に併合しまたはその反訴として提起することを得る旨規定している。ところで、同法第七条以下の婚姻事件についての訴の併合反訴の提起に関する特則の設けられた趣旨は、一面右婚姻無効等の人事訴訟とこれに関連のない通常訴訟との併合反訴の提起を制限して、無制限にこれを許すことにより婚姻無効等の人事訴訟と通常訴訟とが互に性質手続を異にする関係上生ずる審理の錯綜遅延を防止すると共に、他面同一婚姻関係に関する同種事件並びにこれに関連する損害賠償請求につき訴の併合反訴の提起を許して、審理を集中して紛争を一挙に且つすみやかに解決することにより、身分関係の安定と家庭内の平和の早期回復を図つているものと解すべきところ、本件被控訴人の婚姻無効確認本訴の請求原因事実は、本件婚姻の届出のなされた当時被控訴人に婚姻の届出をなす意思なくまた婚姻をなす意思がなかつたとの事実であるけれども、その事実審理のため必要な前提事実として、控訴人主張の右届出以前に被控訴人と控訴人との間に成立した内縁関係または婚姻予約を被控訴人が破毀した事実の有無が事実審理の対象となつているものであること前認定のとおりであるから、婚姻無効確認の本訴請求が認容せられるときは、右婚姻無効確認の本訴について審理した結果をそのまま控訴人の損害賠償(慰藉料)請求反訴の原因事実の立証に援用すればこと足り、これがため特に審理の錯綜遅延を来たすおそれなく、本件婚姻関係とこれに関連する損害賠償請求の争を一挙に解決して身分関係の安定と家庭内の平和の早期回復に資することができるものというべきであるから、同法条の規定の趣旨に照らし、控訴人の本件損害賠償(慰藉料)の請求は被控訴人の婚姻無効確認の本訴の原因たる事実によつて生じた損害賠償の請求と認めて、同法第七条第二項但書によりその反訴として提起することが許されるものと解するのが相当である。
(二) そこで、控訴人の反訴損害賠償請求の当否について審究する。本件婚姻無効確認の本訴請求の当否の判断として当裁判所が引用した前記原判決の認定事実並びに前記一の(一)の認定事実によると、被控訴人は控訴人との婚姻予約を破毀したものであつてその不履行の責は被控訴人にあるものとみることができ、これがため控訴人が精神上多大の苦痛を蒙つたことは明らかであるから、被控訴人は控訴人に対し控訴人の蒙つた精神上の苦痛に対する損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。
しかして、成立に争のない乙第三八号証の一乃至三同第三九号証の一、二に当審における控訴人並びに被控訴人の各本人尋問の結果(第二回)(被控訴人の尋問の結果中後記措信しない部分を除く)を綜合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(イ) 控訴人は、昭和二年七月四日佐賀県藤津郡吉田村において秋次稔およびトシの長女として出生したものであつて、父稔は日本画家として展覧会に出品するかたわら肖像画を描いたり焼物の下絵を描いたりして生計をたてていたが、控訴人が八歳のとき死亡した。その後、控訴人は、弟常弘および常光とともに母トシの手で養育せられ、昭和一七年吉田国民学校高等科を卒業し引き続き吉田実践女学校に入学したが、約二年でこれを中退し、同一九年山口市所在の山口日赤病院救護看護婦養成所に入学し、同所において前大戦の終戦を迎え、同二一年これを卒業して看護婦および養護訓導の資格を取得し、ふたたび親許に帰り同二一年二月から佐賀県所在の嬉野国立病院に看護婦として勤務していたが、同二五年保健婦の資格を取得するため一時同病院を退職し、佐賀県下の保健婦学校に入学して保健婦の資格を取得し、ふたたび嬉野国立病院に勤務し、同二七年六月これを退職して大阪市に来り大阪市浪速保健所に保健婦として就職し、初め嬉野国立病院の看護婦として勤務中に知り合つた森川謙三の母の家に寄宿していたが、半年位でそこを出て大阪市内のアパートに住んでいたが前認定の如く昭和二八年八月頃から上司の訴外今井利雄(被控訴人の父)方に下宿するに至つた。しかして控訴人は昭和三五年試験に合格して大阪市技術吏員となり、現在は大阪市東住吉保健所に勤務しており、現在みるべき資産はなく、その収入は基本給四六、〇〇〇円とこれに三、〇〇〇円位の諸手当の支給をうけているが、昭和三四年頃の収入は約二万円であつた。しかして、控訴人は現在母トシおよび小夜美と共に暮しており、小夜美は小学校三年生である。なお、控訴人は被控訴人との肉体関係ができるまで処女であつた。
(ロ) 被控訴人は、昭和一〇年三月四日大阪市において今井利雄および貢の間に出生した一人子であつて、鷹合小学校桃山中学校天王寺中学校大阪府立天王寺高等学校を経て昭和三二年三月大阪大学工学部を卒業し、ただちに株式会社日立製作所に入社し現在に至つているものであつて、現在同会社において主任の地位にあり年収約九〇万円を得ており、熊谷千鶴子との間に六歳と三歳の二児を儲けている。
被控訴人の父利雄は大阪市の保健所に勤務していたが退職し現在は無職であり、母貢は大阪市内の幼稚園の園長を勤めておる。被控訴人の資産については明らかでないが、その両親である利雄および貢は大阪市内に時価数千万円の土地家屋を所有し、裕福な生活を営んでいる。
以上の事実が認められ、右認定に反する原審並びに当審における被控訴人本人尋問の結果(当審は第一、二回)の部分は措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(三) 以上さきに引用した原判決の認定並びに前記一の(一)及び二の(二)に認定の、被控訴人が控訴人と婚姻予約をなすに至つた状況、両名間に小夜美が出生した事実、被控訴人が控訴人との婚姻予約を破毀するに至つた経緯とその後の状況、被控訴人及び控訴人両名の年齢学歴経歴家族関係、被控訴人と控訴人並びにその父母の資産収入等諸般の事実を綜合すると、控訴人が被控訴人の婚姻予約不履行により蒙つた精神上の苦痛に対する損害の賠償として、被控訴人は控訴人に対し金一五〇万円の支払義務があるものと認める。
三、してみると、被控訴人の控訴人に対する婚姻無効確認の本訴請求は正当であつて、これを認容した原判決は相当であり、本訴についての控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴人の被控訴人に対する損害賠償の反訴請求中被控訴人に対し金一五〇万円の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却すべく、これと異なる反訴請求についての原判決は不当であるからこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九六条第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小野田常太郎 松浦豊久 青木敏行)